XVCDという言語で記述するもの
XVCDでxfyのボキャブラリーコンポーネントを作り始めて、3年弱になります。その間、折に触れてこんな風に思ってきました。
なお、このBlogの他の記事と同じく、以下の内容はわたしの個人的な見解であり、わたしが所属する企業や組織の公式見解ではありません。
XVCDは人形を操る糸を記述する
こう考えるとよいでしょう、XVCDは、例えて言えば、糸操り人形の《操り糸の配置を記述する》ものです。つまり:
- XVCDはソースとデスティネーションの結びつける《操り糸の配置》を記述する言語だ。ソースXML文書が《人形》、デスティネーションが人形の《手板》、すなわちコントローラー。
XVCDで人形の《動作》やコントローラー《手板》を記述するのではない。起動すると勝手になんでもやってしまうような自動人形の動作を記述するのではない。 - XVCDを使うと、ユーザーが気持ちよく《人形》を操作できるように《操り糸》を配置しやすい。あるいは、そのような《操り糸の配置》を記述しやすい。XVCDでボキャブラリーコンポーネントを作るとき、開発者が念頭に置くのは、そのような《人形》操作、すなわち情報操作の気持ちよさであり、もちろん適切さである。
- 一つの人形でも、演目に応じて、複数の《操り糸の配置》を使い分けて操作できるし、複数の《手板》を使い分けて操作することもできる。
こう考えると、XVCDで記述したものは、《プログラム》や《スクリプト》と呼ぶにはふさわしくない気がします。XVCDをプログラミング言語とかスクリプト言語と呼ぶと、誤解につながる気がします。…でも、そう呼んでしまいますけどね、わたしも。
ある演目で、人形の操作者が人形をどのように操作するか、その手順をプログラムやスクリプトと呼ぶのは適切ですね。また、操作者抜きに自動的に動作する人形の動作を記述したものをプログラムやスクリプトと呼ぶのも適切でしょう。
プログラムでは、それが記述した主な項目の間に順序関係があります。つまりプログラムは《手順》を記述したものですね。この順序関係がおかれる時間とプログラムの利用者が感じる時間が一致します。スクリプトも同様で、台本に書かれた台詞は、順序が決まっています。台詞がおかれる時間と、観客が感じる時間は一致しています。
XVCDで記述したものには、そのような意味での順序関係がありません。糸を配置する手順はあって、それに従って操り糸を配置するには時間がかかりますが、その時間は、プログラムを実行するときに利用者が感じる時間とは別種のものです。その時間は、利用者にとっては、せいぜい起動にかかる待ち時間でしょう。
また、手板を動かして、それが糸を伝って人形に伝わって、それによって人形が動くのにも時間がかかります。しかし、これもまた、プログラムを実行するときに利用者が感じる時間とは別種のものでしょう。
じゃ、なんて呼べばいいんだ?…《変換》と呼ばれているようです。
情報操作感のデザイン
よくデザインされた操り糸で人形を操作するのは気持ちよいもの…だろうなぁ。これについては、別の機会に。
え?というか、すみません、操り人形をやったことはありません(^-^;
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